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2009年3月23日 (月)

薬師寺伽藍の研究

1703




宮上茂隆(みやかみ
しげたか)著

A5判/箱入上製/口絵一頁/本文五二〇頁/定価一二六〇〇円/2009年3月

 

◎平安時代まで健在だった藤原京の本薬師寺

 奈良県橿原市城殿(きどの)にある薬師寺は、現在、金堂と東塔、それに西塔の土壇と巨大な礎石を残すばかりである。広大であったであろうその寺地は、いまや畑や民家と化し、往時を偲ぶよすがは、この土壇と礎石をおいてほかにない。

 藤原京の地にあるこの薬師寺は、天武九(六八〇)年、天武天皇が皇后鸕野讃良(うののささら)皇女(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建てられた寺で、本薬師寺と呼ばれている。

 ところが、元明天皇の和銅三(七一〇)年、都が藤原京から平城京に遷都され、それにともなって薬師寺も養老二(七一八)年に平城京に移された。この寺が現在奈良市西ノ京にある、復興著しい薬師寺である。

 都としての藤原京は六九四年から七一〇年までの十六年という短命だったうえ、本薬師寺はその荒廃ぶりから、平城遷都とともに現在の姿になったものだと編集子は思い込んでいた。ところが、宮上さんはこの本のなかで、治安三(一〇二三)年十月二十日、藤原道長が高野山巡礼の途次、本薬師寺に参詣しているといい、したがって、本薬師寺は平安時代の中期まで、平城薬師寺とともに健在だったことを論証している。

 さらには本薬師寺のその後の歴史と、解体にいたる事情、塔や堂宇の移建先や仏像の流転などを詳しくたどっているので、編集子には、まさに蒙を開かれる思いであった。

 この本薬師寺に関する叙述は、この本のほぼ半分を占めているが、これまで本薬師寺についてこれほど深く踏み込んで書かれたことはなかったのではないかと思われる。なかでも本薬師寺解体の過程を述べるくだりは圧巻である。東西両塔の法成寺(藤原道長創建)移建、堂宇の円宗寺(後三条天皇創建)、法勝寺(白河天皇創建)移建、さらには弘法大師ゆかりの讃岐の善通寺への移建についての論考は、善通寺を除いていまではみな失われている寺だけに、宮上さんの独壇場といえるのではあるまいか。

 

◎『薬師寺縁起』 全篇にわたる史料批判

 どうして本薬師寺が平安時代まで健在だったことがわかったのであろうか。そのヒントは薬師寺のもっとも基本的な文献史料である『薬師寺縁起』のなかにある。

 薬師寺の創建や沿革の由来を説く『薬師寺縁起』は現在、薬師寺本、醍醐寺本、護国寺本の三種が伝えられているが、塔に関して醍醐寺本と護国寺本には、「宝塔四基、二口は本寺(本薬師寺)に在り」と記されているのに、薬師寺本にはこの記載がない。

 このように塔条に関して現存する『薬師寺縁起』からは、本薬師寺と平城薬師寺の二つの寺の記載が併存していることは知られていたが、なぜ二寺の記載が併存したり、醍醐寺本や護国寺本にあって薬師寺本になかったりするチグハグなことが起きたのであろうか。

 これに対して宮上さんは、いまは失われてしまった長和四(一〇一五)年に撰述された、もともとの『薬師寺縁起』には二寺の記述が併記されていたが、十一世紀の後半に本薬師寺が解体されて消滅したさい、二寺分の記載を一寺に書き改めた結果起こったことではないかと考えた。そのため塔条以外にも二寺分の痕跡が残っていないかと、宮上さんは『薬師寺縁起』全篇にわたって、注意深く徹底的な史料批判を行うことになる。

 その結果、二つの寺の寺地と寺域内の構成、築地・門の違い、金堂とその本尊の違い、さらには二つの薬師寺がそれぞれに持っていた荘園・封戸(ふこ)・利稲が対等であったことなどが明らかにされる。この『薬師寺縁起』の全篇にわたる史料批判はこの本の大きな収穫の一つであろう。

 

◎平城遷都千三百年、薬師寺東塔の解体修理を前にしての出版

 この本の全体の構成と内容、その結論については、宮上さん自身が「序」で要約しているし、その特筆すべき点については「解説にかえて」で、宮上さんが設立した竹林舎建築研究所を受け継いだ木岡敬雄さんが的確に述べているので、それをお読みいただきたい。

 また、東塔の藤原京からの移建についての論考は、「一部移建・一部非移建」という非常にユニークな説を展開しているので、「第三章 本薬師寺宝塔の形態と平城京移建」「第四章 平城京薬師寺宝塔の建立」をごらん願えればと思う。

 宮上さんはもともと設計を志した建築史家であった。文献史料を広く渉猟して、先学の学説を丁寧に検証し、そのうえで実際に現地での調査をすることで、礎石などから往時の建物を、細部に至るまで具体的にいきいきと想い描くことができたのであろう。宮上さんの本を読むと、つくづくその感を深くする。

 そのうえ論旨の進め方は、学術論文にはめずらしく謎解きの手法さながらである。

 たとえば、薬師寺東塔の九輪の檫管には薬師寺の由緒を伝える檫銘が陰刻されている。ところが、これがゆがんでいるうえ、誤字さえもある。もし創建当初から存在していたものなら、地上で彫って塔に載せるのだからゆがむことはなく、校訂されるから誤字もなしに12字×12字の楷書体できちんとつくられるはずである。それなのに、なぜ、どのような経緯から不完全な檫銘が彫られ、掲げられることになったのか(「第一章 薬師寺東塔檫銘考」)……。ここでも本薬師寺の解体が大きな影を落としているのだが、宮上さんの話の展開には、隠された古代の謎を一つずつ解いていく知的なおもしろさがある。

 来年は平城に遷都されて千三百年目の記念の年に当たる。折から二年後には薬師寺東塔の解体修理も本決まりになった。ちなみに東塔の解体修理は創建されてから千数百年このかた初めてのことだという。この本は宮上さんの逝去後、十年目にしてようやく刊行することができた。生涯を通じて薬師寺と取り組み、力の限り薬師寺の全体像を解き明かそうとした宮上さんの代表作であるこの本が、平城遷都千三百年、薬師寺東塔の解体修理という節目を目前にして刊行されるのも、何かのご縁であろう。世人から注目され、評価される日が来ることを編集子としては大いに期待したい。

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