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2010年1月

2010年1月21日 (木)

考える力がつく 算数脳パズル
 空間なぞぺー  《対象:小1~小6》

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高濱正伸/平須賀信洋著

B5判並製/112頁/定価1155円/2010年1月

◆累計15万部、大人気『なぞぺー』シリーズに空間問題スペシャルが登場!
 2006年に刊行がはじまって以来シリーズ累計15万部、小学生とその保護者から絶大な支持をいただいている『なぞぺー』に、ついに空間問題のスペシャル版が登場しました。
 空間認識力を問う問題は、中高や大学の入試ではもちろん、入社試験など、人生の岐路にある試験では必ず出題されます。しかし、この能力を伸ばす指導は、非常に難しいとされています。「切った断面を想像しよう」とか「立体を向こう側から見たところを想像しなさい」と言われても、できない人にはどうしようもなくできません。付け焼刃の対策や反復練習では乗り越えられない、どうにもせつない壁がそこにはあるのです。
 では、空間認識能力を伸ばす方法はないのでしょうか。著者の高濱さんは、空間認識力を伸ばすうえで最も重要なのは、「経験」だと断言します。つまり、断面を想像するには、台所で大根や食パンなどを対象として実際に立体を切る経験が大切であり、線対称や鏡像の問題に確信を持って答えられるようになるには、紙を折ったり、鏡で遊んだ経験が大切だというのです。

◆空間認識力育成の鍵「切る・折る・回すの経験」を最重視した算数パズル
 本書『空間なぞぺー』では、そういった「経験」と結びつく問題をたくさん盛り込みました。洗濯や料理、地図といったものを題材に、思わず「あるある!」と思ってしまう問題や、「はっ」とするような意外な着眼点の問題を用意しました。たとえば、「うら返して逆さに干してあるジーンズの、右のポケットはどっち?」というような楽しい問題がたくさん収録されているのです。このような問題をきっかけに、子どもたちが日常の経験を空間認識力を通して深く理解するようになり、それがさらに空間認識力を伸ばしていくことにつながるよう、考えられた問題です。
 空間認識力を伸ばす指導は非常に難しいため、空間認識に特化した『なぞぺー』を出してほしいという声は、シリーズがはじまった当初からたくさん寄せられてきました。本書はそういったご要望にこたえるべく編まれた算数パズル集です。もちろん、これまでの『なぞぺー』シリーズと同様、子どもたちが自分からやりたがるような楽しい問題ばかり。保護者の方も一緒にパズルに挑戦し、楽しみながら空間認識力を育成する一冊です。

著者紹介
高濱正伸(たかはま・まさのぶ) 
 1959年、熊本県生まれ。東京大学大学院修士課程卒業。93年に、学習教室「花まる学習会」を設立。算数オリンピック問題作成委員・決勝大会総合解説員。著書に『小3までに育てたい算数脳』(健康ジャーナル社)、『考える力がつく算数脳パズルなぞぺー①②③』をはじめ同シリーズの『はじめてなぞぺー』、『鉄腕なぞぺー』、(以上、草思社)などがある。

平須賀信洋(ひらすが・のぶひろ) 
 1985年埼玉県生まれ。県立浦和高等学校時代に高濱と出会い、思考力問題の面白さを知る。大学入学と同時に、アシスタントとして参画し、高濱の問題作成パートナーとして活躍。早稲田大学理工学部建築学科卒業。早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻在学中。著書に『算数脳ドリル立体王』シリーズ(高濱と共著、学習研究社)。

「がんばらない」経営
――不況下でも増収増益を続けるケーズデンキの秘密

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立石泰則(たていし・やすのり)

新書判変型/ソフトカバー/192ページ/定価1,000円(税込)/2010年1月

創業以来62年連続で増収、不景気知らずの経営の秘密は「無理をしないこと」!?

経営とは終わりのない駅伝競走。無理して区間トップを取っても意味がない。
 出口のみえないデフレ不況下、過酷な安売り競争の激戦区「家電量販」の市場で、今年も増収増益を続けている企業がある。業界でつねに2位、3位の位置を占めている「ケーズデンキ」である。業界1位はヤマダ電機。ところがこの両社の経営手法は見事なまでに対照的だという。ケーズの経営手法は「がんばらない」ことだというのだ。
 デフレ時代、安い価格で競争するには、社員一丸となって必死になるべき。ところがケーズの加藤社長は「無理をしないこと。無理をすればいずれはそのツケが回ってきて、企業にダメージを与える」という。厳しいビジネス環境における常識(必死になる)をひっくりかえすような、このケーズのユニークな経営哲学を徹底取材したのが本書。
 加藤社長は言う。「経営とは終わりのない駅伝競走。区間トップでは意味がない。長く走り続けることが肝心」。そのためには「無理をしない(させない)」というのだ。
 派遣切りが問題視される現在において、社員はコスト、経営の調整弁と言われるのはもはや常識になっている。ケーズは「なんとか社員に長く勤めてもらいたい」と考え、早い段階から週休2日を実施、店長であっても定時には帰宅するという就業環境を実施している。数値目標も与えない。「結果(売上の数字)よりも過程(どのように工夫し働いたか)を評価する」という。社員持ち株制度も導入し、定年退職時にはそれなりの収入がある仕組みをつくっている。現実ばなれした「理想論」としか思えない経営だ。
 ところが、戦後間もない創業からじつに62年間連続で増収、2回をのぞいてすべて増益だという。その実績がいやおうもなく説得力を持つ。従業員を大切にしながら、売上ではなく利益を重視した経営を実施する。業界トップのヤマダ電機には売上では及ばないが、じつは売上に対する利益率ではケーズのほうが上だという。
 厳しい経済状況にあって、過酷なリストラや過労死寸前の労働環境が当たり前のようになっているが、このケーズの「実態」をみるにつけ、「がんばる」ことが本当に正解なのか疑問に思えてくる。現在の日本において、まったく新鮮な視点を提示してくれるじつにユニークな経営紹介の1冊である。

彼氏いない歴20年のオタ女ですが
あらゆる婚活してみました

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中村純子=著

A5判並製/144頁/定価1000円/No.1745/2009年1月21日配本

◆婚活もここまで来た!? 倒れても倒れても立ち上がる「奇跡」の爆笑コミックエッセイ
 昨年は「婚活」という言葉が流行語大賞にノミネートされるなど世間をにぎわしたが、いまや婚活は一時の流行ではなく、新たな産業として定着した感がある。20代から40代の間で36%の人が婚活をしたことがあるというアンケート結果もあるほどだ。
 とはいえ、実際にはどんなものだろうと思っている人もまだ多いのではないだろうか。本書の著者もそんなひとりだった。著者は、これまでマンガ家アシスタントの仕事一筋でやってきて、気がつくとアラフォーになっていたものの、ふと、結婚したいと思うようになったという。
 そこで一念発起して、ありとあらゆる婚活イベントに挑戦した体験を書いたのが本書だ。
 体験したイベントは、お見合いパーティやお料理合コンといったよく知られたものから、シングルスバー、ネットのオフ会といったマイナーなものまで、じつにさまざま。それぞれのイベントの「中間印象チェック」あり「データ解析」ありといった、唖然とするほどバラエティ豊かな趣向を眺めていると、婚活もここまで来たかと思わされる。
 著者のけなげな奮闘も楽しい。失敗続きでもめげることなくがんばりつづけるその姿勢には、思わず知らず手に汗握ること請け合いだ。イベント毎のメリット、デメリットを整理したコラムも、興味のある向きにはお役立ち度は高いだろう。
 爆笑しながら、驚くべき現代婚活事情を一望できる本書、独身者ならずとも最高に楽しめる一冊だ。

●内容より
◎死闘! お見合いパーティ
◎シングルスバーは猛獣ぞろい
◎ミクシィの「正しい」楽しみ方
◎決戦はお料理合コン
◎それでも婚活をする………など

著者紹介  
1971年大阪府生まれ。大阪市立大学卒。OLやフリーターを経てマンガ業界に飛びこむ。現在、マンガ家アシスタントとして活躍中(アシ12年目)。連載中と冠のつく作家を夢見て、奮闘の日々。

朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松髜修(まさなお)物語

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田中秀雄=著

46判上製/304頁/定価2100円/2010年1月

日本の朝鮮統治の歴史を公正に評価するための手がかりとなる力作評伝!

●日韓に「感動的な関係」があった
 今年、二〇一〇年は日韓併合百年に当たります。本書はこの日本の統治時代に朝鮮金融組合理事として、疲弊した農村の振興に尽力した重松髜修の半生を丹念に追った評伝です。
 明治二十四年、愛媛県に生まれた重松は、旧制松山中学を卒業後、明治四十五年に東洋協会専門学校(拓殖大学の前身)の朝鮮語科で学び、大正四年、朝鮮総督府の官吏(土地調査局)となります。その二年後、「感激性のある仕事がしたい」との思いから、農民のための金融機関、朝鮮金融組合に移り、理事として平安南道江東の寒村に赴任。大正八年に起きた万歳騒擾(三・一独立運動)のさいに被弾し右足が不自由になるも、私財をなげうって近代的養鶏を指導し、養鶏によって得た卵の売上を金融組合に貯蓄させ、貯めたお金で耕牛を買うという原則をつくります。牛を買うだけでなく、その貯金は農地購入や貧困家庭の就学資金にもあてられ、ついには貧しい小作農が奮起して三十七歳にして医者になることまで起きます。当初はかたくなで、足が不自由な重松を嘲笑することもあった村の人々ですが、彼の熱意がしだいに理解されるようになり、やがて彼は「聖者」と仰がれ(二〇九頁)、昭和十一年三月、村人は感謝の意を表するために彼の頌徳碑を建立します(二〇〇頁~)。
 台湾の荒蕪地を穀倉地帯に変えたことから、地元の人々によって銅像を建てられたダム技術者・八田與一の名前は広く知られていますが、朝鮮にも人々に深く感謝された日本人がいたということです(ちなみに頌徳碑を建てられたのは重松ひとりではありません)。統治時代を評して「日韓にはかつて不幸な時代があった」といわれますが、重松の半生は双方に「感動的な関係」があったことを雄弁に物語っています。「後日談」の項で、重松の教えを受けたことがある人物(韓国有数のガス供給会社・大成工業会長)が、韓国に重松の業績を知る人がいないことを嘆いています。それは日本人も同様であり、日韓併合から百年を機に、この熱誠・無私の先人の存在を日本人自身が知ることは、両国が前向きな関係を築くうえでも実に意義深いことといえるでしょう。

●一面的ではない統治の現実
 日本による統治期間は三十五年ですが、重松は学生時代を含めて三十一年間を朝鮮で過ごしています。本書の意義はもうひとつ、重松の足跡をたどることで統治の現実の一端が見えてくることです。統治の施策として悪名高い「創始改名」。これに抗議して自殺する人がいる一方で積極的に改名した人もいます。重松の周辺では彼の薫陶を受けた二人の人が自ら進んで創始改名をしており、その受け止め方はさまざまだったことがわかります。そしてもうひとつ。重松はその抜群の知名度から戦時中、請われて「国民総力朝鮮聯盟」の実践部長となり、朝鮮の人々の徴用、徴兵にかかわることになります。重松は内地に徴用された労働者を慰問することもありましたが、その見聞録(『国民総力』昭和十九年八月十五日号)に記された彼らの暮らしぶりは、戦後にいわれ始めた「強制連行」の言葉から連想されるイメージとは大いに異なるものであることもわかります。日本の朝鮮統治の歴史はときに政治問題に発展するためか冷静な評価を下しにくいところがあるようですが、本書の登場で、より公正な検証が進むことを念願してやみません。
 終戦直後、聯盟実践部長の経歴から重松は牢獄に入れられます。しかしたまたま彼を取り調べた検事は、重松が与えた鶏で上級学校に進み、早稲田大学を卒業後、司法界に奉職していた「教え子」であり、彼のひそかな手配によって重松は混乱のなか、無事帰国することができました。『滝の白糸』思わせるこの奇跡的なエピソードを最後に付け加えておきます。

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