« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月

2010年9月21日 (火)

野宿入門
――ちょっと自由になる生き方

1776

1776_2









かとうちあき・著

新書変形判並製/224頁/定価1050円/2010年9月

◇話題のミニコミ誌『野宿野郎』発行人が綴る、めくるめく野宿の愉しみ◇
 この本の著者が野宿に目覚めたのは、なんと高校生のころでした。まわりからは当然「女子高生が野宿なんて!」という驚きの声があがったといいます。それでも著者は野宿を愛好しつづけ、2004年には『野宿野郎』というミニコミ誌まで創刊し、野宿の伝道に励んでいます。
 とはいえ、野宿という言葉には負のイメージがつきまとうのも事実です。終電を逃してやむなく……というような場合でも「外で寝ること」のハードルは相当に高い。ましてや、本書が提案するような「積極的に愉しむ野宿」をやってみようと思われる方は少数派かもしれません。それでもなお、著者は野宿をすすめます。もちろん「面白いから」というのが一番の理由ではありますが、それだけではありません。遠くへ行っても行かなくても、野宿をすることで(または「野宿してみようかな」と思いながら周囲を見回すことで)、日常がちょっと違って見えてくるのです。野宿によって、野宿をしない毎日までもが、意外性に満ちた空間に思えてくる。そして屋根のある日常が尊いものに思えてくる――。これこそが、野宿からの贈り物なのです。
 不況でも、雨の日でも、何歳になっても、寝袋ひとつあれば何とかなる。そう思えたら、今よりほんの少しリラックスして生きていけるのではないでしょうか。この本がそんなふうにお役に立つことを願ってやみません。

[目次から]
●野宿のチャンスはどこにでもあるぞ!
●トイレは重要な情報源
●なんとかなる、という感覚
●都会の野宿を愉しむために
●屋根と壁。野宿をつづけると「家」に行きつく

藩と県
――日本各地の意外なつながり

1777_2

1777












赤岩州五(あかいわ・しゅうご)・北吉洋一(きたよし・よういち)著

四六判/並製/二二四ページ/定価一四七〇円/2010年9月21日

四十七都道府県別に遠隔地との交流、影響を多彩なエピソードで解き明かす

●藩を見ないと今の県は分からない

 山形県庄内地方になぜ西郷隆盛を祀る南洲神社があるのか。戊辰戦争で庄内藩と薩摩藩は敵味方で戦った相手なのに。庄内の鶴岡で食べる「笹巻き」という餅菓子は鹿児島の「あくまき」という菓子に似ているのも意外だ。実は鶴岡と鹿児島は維新後の西郷の温情からはじまり深い交流が今でも続いている。こうした遠方の各地に交流や相互影響があることを食べ物、名産、人、歴史秘話などを通じて解き明かしたのが本書である。
 日本という国の成り立ちを考えると江戸時代に二七〇ほどあった「藩」の存在が重要である。各藩は競って藩内の教育、殖産を行ない、独自の文化を築きあげた。また大名の転封、移封により遠隔地の名産が移ってきた場合もある(会津若松の「高遠そば」や大和郡山の「金魚」など)。参勤交代や庶民の伊勢参り、金比羅詣り、北前船や薬売りなど、移動や交通の道筋に沿ってさまざまな影響が生じた。明治維新後の廃藩置県をへて、紆余曲折ののち現在の四七都道府県に定まったのだが、本書ではその経過も解説しつつ、この四七が決して絶対的に根拠のあるものではないことを示しているのも面白い。

●地方活性化の一助にも
 加賀藩が氷室に蓄えていた氷を毎年、江戸の将軍に献上するために使ったルートはどれだったろうと推理する「道」のコラムは興味津々である。参勤交代の通常ルートでは溶けてしまうから、秘密裡に松本藩の許可のもとに北アルプスを通るルートにしたにちがいないと著者は述べる。福井県敦賀市は水戸天狗党が最後に捕らえられた場所で三五二人が斬首された。今、水戸と敦賀は姉妹都市で小学生の交流がある。仙台の「すずめ踊り」という祭りは堺の石工が仙台城の築城のときに伝えたもので堺市では「堺すずめ踊り」を復活させた。著者の二人は地理や地誌、食や名物、旅行などについての編集者でありライターである。長年の取材体験や知識、資料をもとに各地の特産品をめぐるエピソードやその地方独特の気風、文化が面白く語られている。
 昨今、不況や停滞により地方の活性化や新たな道州制の導入などが取りざたされているが、本書を読むと、日本の国土はもっと豊かで刺激的な可能性に満ちていることに気づかされるのではないか。

新装版・江戸の町(上)巨大都市の誕生
新装版・江戸の町(下)巨大都市の発展

1779

1779_2









1780

1780_2










内藤昌=著
穂積和夫=画

B5判/並製/96ページ/定価各1680円(税込)/2010年9月

世界最大の都市・江戸のすべてを見事に絵解きした好著を新装版で!

 江戸の都市計画は、外国でもあまり例をみない特異なものでした。自然の地形をたくみに活かしながら、数度におよぶ大規模な土木工事を展開し、やがては当時のロンドンやパリをもしのぐ、世界最大規模の都市に発展したのでした。
 そのすべてを、江戸の建設過程の検証で知られる専門家が解説し、建築学科卒のイラストレーターが見事に絵解きしたのが本書です。
 上巻では、太田道灌以前の姿にはじまり、徳川家康の江戸城入城から、大規模建設の実際を取り上げ、江戸城大天守を焼失した明暦の大火までを描きます。
 下巻では、明暦以降幕末までをとりあげ、とりわけ豊かに発展した江戸の町民文化や人々の暮らしを中心に解説します。
 本書に描かれている絵は、たんに資料から起こしたものではなく、専門家である著者の研究結果を充分にこなしたうえで、穂積氏の技術によって初めて絵として表現された「復原図」であり、絵そのものがひとつの「研究論文」に匹敵する価値のあるものです。
 オリジナル版は、1982年に刊行されたものですが、もともと「小学校高学年以上」を読者対象として企画されたものですので、かなり高度な内容でありながら、ひじょうに平易に読めることを特長としています。
 本年(2010年)11月には、本書のイラストを担当した穂積和夫さんが、この続篇ともいうべき明治の東京を絵解きする『絵で見る 明治の東京』を刊行する予定です。本書と併せていただければ、世界でも独特の発展をとげた「江戸=東京」という都市の相貌が具体的におわかりいただけるものと思います。

日本 1852
――ペリー遠征計画の基礎資料

17781852

17781852_2











チャールズ・マックファーレン=著 渡辺惣樹=訳

四六判上製/二九六頁/定価二一〇〇円/二〇一〇年九月

●一八五二年の「オール・アバウト・ジャパン」
 本書は一八五二年七月、ペリー艦隊がアメリカ・ノーフォークから日本に向けて出港する四カ月前にニューヨークで出版されました。ペリーの交渉によって日本は開国するのか。世界の耳目を集めたアメリカの遠征計画ですが、相手国の日本について総合的に知る著作物は皆無ということで、いわば時代のニーズに応えて、イギリス有数の歴史・地誌学者が書いた「日本概説」です。西洋との接触、地理、民族と歴史、宗教、政体、鉱物資源、動植物、芸術、言語、文学等から日本人の性質までを網羅し解説されていて、米英の対日観の原点を知るうえでは大変重要な資料ですが、これが日本で初の全訳となります。

●恐るべきイギリスの「情報力」
 まず驚かされるのはイギリスの情報収集力の凄さです。日本が門戸を閉ざしていたイギリスですが、ラテン語からポルトガル、スペイン、イタリア、フランス、オランダ、ドイツの各国語で書かれた日本関連の書物が十六世紀以来、膨大に蓄積されていたことがわかります。さすがに世界に冠たる情報機関を持つ国です。さらに驚くべきは、著者が日本及び日本人のことを相当な精度で把握していることです。たとえば、天皇(心の皇帝)と将軍(世俗の皇帝)の並立する権威の存在をはっきりと意識していたことがあります(したがって、ペリーの二度にわたる来航は、開国の是非をめぐる国論統一の時間を将軍に与えるためとも推測できます)。また、次の一節を読み、その九十余年後の歴史を考えたとき、著者の分析の確かさに何やら無力感すら覚えることでしょう。
「(日本の武士はときに侮辱されるよりは切腹を選ぶ。もしこれが本当なら)日本の兵士は強力で激しく戦うだろう。アメリカが(開国のため)侵攻した場合、まずこの国は敗れるに違いない……ただ、その過程でどれだけの死者が出るかは想像さえつかない」

●ペリー来航の本当の目的
 カナダ在住の訳者、渡辺惣樹氏は新たな視点で日米関係をとらえるべく、事業のかたわら広く米側史料を渉猟しています。その最初の成果が昨〇九年に上梓した『日本開国』(小社刊、本年度「山本七平賞」最終候補作)です。アメリカの開国要求の目的は中国市場と米国東部を最短で結ぶうえでのシーレーン構築にあったとの解釈を示したものですが、渡辺氏はその参考資料の一つとして本書を発見し、「パナマ運河」に関する記述を読んで自身の解釈に確信をもったと編集子に語っています。すなわち本書は米英の対日観の原点を知るだけでなく、ペリー来航の本当の目的を明らかにするための重要な手掛かりでもあります。
 人口が多く、優れた農業技術・活発な商活動・高度な精神文明を持つ国。健康で、遵法精神に富み、不正を憎み、礼節を重んじ、勇敢で、フランクで、勤勉な民族――マックファーレン氏は本書で日本及び日本人を高く評価していますが、果たして米英はその後、ここからどのような対日戦略を導きだしたのでしょうか。

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »