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2010年12月

2010年12月24日 (金)

金大中 仮面の裏側
――元韓国情報部員の告発

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金基三(キム・キサム)=著 荒木信子=訳

四六判上製 三一二頁 定価一九九五円 二〇一〇年十二月


● 十五億ドルのワイロ
 韓国の元大統領、金大中氏は二〇〇〇年にノーベル平和賞を受賞しましたが、その授賞理由として決定的だったのが、同年六月に開かれた金正日総書記との南北首脳会談です。当時から韓国ではこの南北会談が「カネで買われた」ものであるとの批判がありました。本書は、韓国の情報機関である国家情報院(=国情院。旧KCIA)の職員だった金基三氏が、在職中の経験と二〇〇〇年に辞職したのちに行なった関係者への取材をもとに、大統領が会談実現に向けて十五億ドル相当のユーロ貨を北に送ったと告発するものです(ちなみに、〇一年五月の金正男氏の日本への不法入国は、事後の打ち合わせのためであったと著者はみています)。北の同胞の惨状には目をつぶり、個人的な欲望から独裁者と手を結ぶさまを内部にいて目撃したことが告発の動機だという著者は、この巨額の「ワイロ」によって経済が破綻寸前だった北朝鮮は息を吹き返し、国際社会を恫喝する手段となった核開発を進めることができたと指摘していますが、その真摯な訴えは読む者の胸を打ちます。

● 国家ぐるみの受賞工作
 ことの当否は歴史の審判にゆだねるしかないのですが、金大中氏が大統領就任直後から国家ぐるみの受賞工作を指示したことは確かです。著者はこのとき国情院の対外協力補佐官室に在籍し、海外メディア工作を受け持ちました。大統領の「太陽政策」を国際社会にアピールすることが目的でした。国情院で工作の中核を担ったのは、特別採用された金ハンジョンという金大中氏の広報秘書をしていた人物です。この人がノーベル委員会や東ティモールのオルタ外相らにどのような働きかけをしたかは、第Ⅰ部1章、第Ⅱ部6章、巻末の「受賞工作概要」に詳述されています。それにしても、こうした工作のプロセスから垣間見えるのは南北の複雑怪奇(?)な関係です。朝鮮半島情勢を見るときに外してはならない要素と思われますが、本書の意義はこのことを具体的に示したところにもあります。

●「民主化闘士」の実像
 朴正熙政権時代に日本で起きた拉致事件以降、金大中氏は「韓国民主化の闘士」あるいは「人権派」のイメージで語られてきました。しかしながら本書では、ノーベル賞受賞工作だけでなく、氏の地盤である全羅道出身者を偏重した人事や、他の政権と比べて突出していた盗聴指示についても具体的に語られていて、そうしたイメージが一面的であるとわかります。実際は大変なマキャヴェリストであり、しかもその資質を国のためではなく、自らの欲望を満たすために発揮してきたようです。著者は〇三年に大統領を告発する文章を発表し、続いて記者会見を開いたのち、身の危険を感じて米国への亡命を余儀なくされました。この一事をもってしても従来の評価には大きな疑問符がつくといえます。いずれにせよ、大統領の宥和策が奏功しなかったことは現状を見れば明らかでしょう。

2010年12月20日 (月)

少年の日の思い出
――ヘッセ青春小説集

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ヘルマン・ヘッセ/岡田朝雄 訳
四六判 セミ上製 200ページ カラー口絵 定価1680円

中学国語教科書の定番『少年の日の思い出』の長年の誤訳を正す新訳。
昆虫好きの訳者がチョウの名前などを正確に訳す。

●訳者が長年の「ヘッセと昆虫」研究の成果を結実
 この短編集を編んだ理由の一つは短編『少年の日の思い出』を新訳で出したいという翻訳者・岡田朝雄氏の長年の意図があったからです。ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』は戦後すぐ1947年の国定教科書『中学国語』に高橋健二訳で掲載されて以来、今年2010年まで64年間も、各種教科書に採用されている有名な短編小説です。日本で最も読まれた翻訳小説といっても過言ではないでしょう。これはヘッセ自身が昆虫好きの少年であったことを題材とし、少年が友だちのチョウの標本を盗んでしまう体験が苦い悔恨を込めてつづられる青春小説です。訳者も実は自他ともに許す有名な昆虫好きで、高橋健二訳のこの小説に出てくるチョウやガの名前の訳が間違っていることに前から気づいていました。この小説の正確な翻訳を出したいという動機から本書は編まれています。
 訳者の発案で小説に出てくるチョウの標本をそろえ「ヘルマン・ヘッセと昆虫展」を去年より日本各地で行い、また今年はドイツ本国でも開催しました。この本は「ヘッセと昆虫」についての外国にもない研究の成果なのです。

●名作『車輪の下』と同時期に書かれた青春文学

 青春小説といえばヘッセの『車輪の下』はまず真っ先にあげられるものの一つです。今でも繰り返し多くの人に読まれています。この一作だけがもちろんヘッセの青春小説ではなく、すばらしい作品をたくさん書いています。本書に集められた4作いずれも20世紀初頭、1900年から1910年代に書かれ発表されています。『車輪の下』も発表は1916年ですから同時期であり、一連の作品といってもいいかと思います。後期の暗いヘッセの作品群とは違う、第一次大戦以前の最も美しい時代と青春を描いています。『車輪の下』の愛読者なら一度は読んでみたいと思うような切ない青春の思い出を綴った作品を集めてみました。ぜひご一読を。

2010年12月13日 (月)

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――物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯

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アーサー・I・ミラー/阪本芳久訳
46判/上製/480頁/定価2,415円/2010年12月

◆物理学は錬金術から生まれた!
 今でこそ、科学者たちは神秘主義を毛嫌いして批判していますが、歴史的に見れば、科学は、錬金術や数秘術、占星術などの神秘主義の中から生まれてきたものです。17世紀ころまでは両者は分かちがたい関係にあり、たとえばニュートンも人生の多くを錬金術の研究に費やし、物理学を研究したのはごく短期間だけだったと言われています。
 その後、18世紀と19世紀を経て、実験手法や数学が洗練され、科学と神秘主義は別の道を歩んでいきました。しかし、20世紀の初め、物理学者たちは、自分たちが神秘主義者の末裔であることを意識させられる事態に直面します。量子的世界の奇妙な振る舞いの発見です。微細な世界の現象には、それまでの物理の常識はまったく通じず、謎と混乱は深まるばかりでした。実験や計算で出た数を、理由もわからず足したり割ったりすると、規則的な整数が現れますが、それがなぜかを説明する理論はなかなか生まれませんでした。当時の物理学者は、仲間の研究をまるで数秘術や錬金術のようだと批判したり、自嘲的に独白したり、あるいは冷静に論評したりしていたのです。
 そして同じころ、まったく別の方向から錬金術や数秘術に光を当てた人物が、新しい思想の潮流を作り、大変な影響力を誇っていました。心理学者カール・ユングです。

◆ノーベル賞物理学者パウリと心理学者ユングの秘密の共同研究とは?
 ユングは、全人類の無意識は共通の基盤を持っており、それは錬金術の図像などに現れているという「集合的無意識」の理論を作り上げ、心理学界で確固たる地位を築いていました。しかしその一方、ユングは自らの理論を科学的なものにするために、科学者の助けが必要だと考えていました。
 そんなユングのもとに、本書の主人公である物理学者ヴォルフガング・パウリが患者として訪れます。パウリは、物理学の難問を考え続けたことや結婚に失敗したことなどが原因で、心を病んでおり、ユングに助けを求めました。ユングが面談してみると、パウリはとても象徴的で鮮やかな夢を見て、かつ卓越した知性を持っており、心理学の研究対象として非常に興味深いことに気づきました。そのうえ、一流の科学者であることから、自分の研究の科学的な支えになってくれるのに十分な人物でした。
 パウリから見ても、ユング心理学や錬金術は非常に興味深いものでした。パウリは、自らその発展に大きな寄与を果たした量子力学に、錬金術・数秘術的な数の謎があることに悩まされていました。また、17世紀の科学者ケプラーに造詣が深く、ケプラーがいわば科学的錬金術師であったことも知っており、物理学の出自が錬金術にあることにも自覚的でした。このため、二人の関係は自然と、患者と医者から共同研究者の関係へと移行していきました。しかし、パウリはこのことを同僚たちに知られることを恐れ、ユングとの共同研究を秘密にしていたのです。その共同研究とは、二人の関係とは、どのようなものだったのでしょうか。本書でその全貌がはじめて明らかになります。
 出自を同じくするものでありながら、いまやまったく別のものとなっている物理学と神秘主義が、20世紀においてなぜ再接近したのでしょう? 本書を読めば、それが狂気や気まぐれのせいでなく、物理学のあるべき姿を真摯に追い求め、世界の本当の姿を知りたいという強い情熱を抱いたからだということがわかるはずです。科学とは何か、物理学とは何かという問いに、科学史の世界からまったく新しい光を投げかけてくれる一冊です。

内容より

・137=微細構造定数の謎にとりつかれた物理学者たち
・パウリを悩ませた、量子力学に現れる「3」と「4」の謎
・ユングの占星術研究、UFO研究に対するパウリの反応
・物理学は錬金術・数秘術など神秘主義から派生した
・パウリの物理学の業績と、夢に現れた中国人女性の関係

2010年12月 3日 (金)

北朝鮮に嫁いで四十年
――ある脱北日本人妻の手記

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斉藤博子著 

四六判/上製/328(口絵4)頁/定価1890円(税込)/2010年12月

○ 公開処刑の見学、飢餓、ヤミ商売
 北朝鮮での四十年間をふり返ったこの手記は、大学ノート六冊にびっしりと書かれました。電気や水道も満足にこない。配給制が止まったのちはヤミ商売(銅線や煙草)や自給自足(トウモロコシ栽培)で僅かな現金と日々の糧を得る。公開処刑の見学が強制され、行き倒れた人や餓死者の埋葬、〝人減らし〟を目撃する――ここには厳しい生活の様子が、あるがままに語られています。やさしい人柄を彷彿させるその素直な語り口は、それだけにいっそう北朝鮮の残酷な現実を鮮明に浮かび上がらせて、読む者の眼前に迫ってきます。

○ 運命を受け入れて生きる
 思いがけず厳しい境遇に投げ込まれた斉藤さんですが、ここには誰かを恨んだり、愚痴めいた記述はいっさいありません。すべてを運命として受け入れ、夫と六人の子供のために希望を失わずに生きてきたことがわかります。「いつかきっと良いことがあるでしょう」が口癖です。秋の山で木の実や凍ったジャガイモを見つけたときの喜び、朝鮮人の夫の苦悩や朝鮮の人々への同情、家族に対する愛情をときにユーモアに包んで語ります。悲惨な実態が描かれながら、読後感がむしろさわやか(?)なのは、こうした斉藤さんの生き方に由来しているようです。それにしてもその健気さ、謙虚さ、強さ。日本女性の美質が泥田のなかで花開いた観があります。

○ 庶民の暮らしのディテールを伝える
 配給における米と小麦の割合、配給量、給料、大量のキムチづくり、トウモロコシの値段、市場の光景、ヤミで扱われる品物やヤミのやり方、医療や鉄道、電力事情、家の間取り、家の貸し借り、人々の移動手段、脱北ブローカーの素性、人民班・軍隊・警察の管理や取り締まりの実際、近所づきあい――これまでの北朝鮮情報と言えば、金正日の動向や権力層の人事、飢餓状態にある子供たちの痛ましい映像がおもで、一般庶民の日常はまったくと言っていいほど知られていません。この手記には普通の人々の生活が細部にわたってくわしく書かれてあり、閉鎖社会の内実を知るうえでもたいへん貴重な記録であるといえます。

○ 帰れない日本人妻のために
 斉藤さんは北朝鮮に三人の子供を残しており、その身の安全を考えれば、こうして実名を出して手記を書くにはそうとうの覚悟がいったことと思います。勇気をもってこれを書いたのは、同じ境遇の日本人妻の一刻も早い帰国に繋がるのではないかと期待しているからです。かつて異国に渡った日本国籍保有の日本人妻は一八三一人。そのうち現在の生存者は一〇〇人台とも数十人とも言われます。このたびの出版を機に、これらの女性の存在をひろく知ってもらい、どうにかして帰国に繋げたい。それが今の斉藤さんの最大の願いなのです。

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