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――物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯 »

2010年12月 3日 (金)

北朝鮮に嫁いで四十年
――ある脱北日本人妻の手記

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斉藤博子著 

四六判/上製/328(口絵4)頁/定価1890円(税込)/2010年12月

○ 公開処刑の見学、飢餓、ヤミ商売
 北朝鮮での四十年間をふり返ったこの手記は、大学ノート六冊にびっしりと書かれました。電気や水道も満足にこない。配給制が止まったのちはヤミ商売(銅線や煙草)や自給自足(トウモロコシ栽培)で僅かな現金と日々の糧を得る。公開処刑の見学が強制され、行き倒れた人や餓死者の埋葬、〝人減らし〟を目撃する――ここには厳しい生活の様子が、あるがままに語られています。やさしい人柄を彷彿させるその素直な語り口は、それだけにいっそう北朝鮮の残酷な現実を鮮明に浮かび上がらせて、読む者の眼前に迫ってきます。

○ 運命を受け入れて生きる
 思いがけず厳しい境遇に投げ込まれた斉藤さんですが、ここには誰かを恨んだり、愚痴めいた記述はいっさいありません。すべてを運命として受け入れ、夫と六人の子供のために希望を失わずに生きてきたことがわかります。「いつかきっと良いことがあるでしょう」が口癖です。秋の山で木の実や凍ったジャガイモを見つけたときの喜び、朝鮮人の夫の苦悩や朝鮮の人々への同情、家族に対する愛情をときにユーモアに包んで語ります。悲惨な実態が描かれながら、読後感がむしろさわやか(?)なのは、こうした斉藤さんの生き方に由来しているようです。それにしてもその健気さ、謙虚さ、強さ。日本女性の美質が泥田のなかで花開いた観があります。

○ 庶民の暮らしのディテールを伝える
 配給における米と小麦の割合、配給量、給料、大量のキムチづくり、トウモロコシの値段、市場の光景、ヤミで扱われる品物やヤミのやり方、医療や鉄道、電力事情、家の間取り、家の貸し借り、人々の移動手段、脱北ブローカーの素性、人民班・軍隊・警察の管理や取り締まりの実際、近所づきあい――これまでの北朝鮮情報と言えば、金正日の動向や権力層の人事、飢餓状態にある子供たちの痛ましい映像がおもで、一般庶民の日常はまったくと言っていいほど知られていません。この手記には普通の人々の生活が細部にわたってくわしく書かれてあり、閉鎖社会の内実を知るうえでもたいへん貴重な記録であるといえます。

○ 帰れない日本人妻のために
 斉藤さんは北朝鮮に三人の子供を残しており、その身の安全を考えれば、こうして実名を出して手記を書くにはそうとうの覚悟がいったことと思います。勇気をもってこれを書いたのは、同じ境遇の日本人妻の一刻も早い帰国に繋がるのではないかと期待しているからです。かつて異国に渡った日本国籍保有の日本人妻は一八三一人。そのうち現在の生存者は一〇〇人台とも数十人とも言われます。このたびの出版を機に、これらの女性の存在をひろく知ってもらい、どうにかして帰国に繋げたい。それが今の斉藤さんの最大の願いなのです。

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