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2011年3月24日 (木)

「昭和」を生きた台湾青年
日本に亡命した台湾独立運動者の回想1924‐1949

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王育徳(おう・いくとく)=著 近藤明理=編集協力

四六判上製 三二八頁 定価二三一〇円 二〇一一年三月


●「日本語世代」の回想記

 著者の王育徳氏は一九二四年(大13)、日本統治下の台湾・台南市で海陸物産を扱う裕福な商家に生まれました。旧制台北高校から東京帝大に進むも、戦況厳しく、四四年(昭19)に学業の途中で台湾に疎開。戦後は?介石率いる国民党の独裁政治を批判して政府ににらまれ、四九年(昭24)に日本に亡命します。その後、日本で大学教師をつとめるかたわら、台湾独立運動を始め、終生その活動に力を注ぎました。しかし、ふたたび祖国の土を踏むことなく、八五年(昭60)に死去。王氏は戦前に日本語で教育を受けた「日本語世代」の一人であり、その六一年の生涯は日本の昭和期とほぼ重なっています。本書は、王氏が亡命にいたる二五年間の台湾時代を回想して書いた遺稿(一九六五年に執筆)ですが、「日本語世代」が日本語で当時を詳しく語った初めての本ということができます。

●統治下台湾の貴重な記録

王氏は、父、その正妻のほかに二人の夫人(いわゆる妾。王氏は第二夫人の次男)、その子供たちが一つ屋根の下に暮らすという特殊な家庭環境に育ちました。この回想記は、そんな封建的な大家族制に反発し、学校では日本人生徒に負けまいとがんばる多感な少年が、やがて台湾人としてのアイデンティティーに目覚めるまでをつづった興趣尽きない青春物語ともいえますが、それだけではありません。植民地に生きる青年の複雑な心境にかさねて、日本的近代化が進む一方で、清朝風の文化、因習が色濃く残る台湾社会の諸相がいきいきと描かれていて、当時の歴史を知る上でも貴重な記録となっています。

●なぜ台湾人は親日的なのか

 台湾の人たちが親日的であるとはよくいわれることですが、それが何に由来するのか、本書から汲みとることができます。一つには教育。台湾割譲から半世紀後の一九四三年(昭18)には、台湾人児童の就学率は七〇%を超えていたと記録にあります。小学校時代の担任、安田実先生について王氏は「(安田先生によって)その後の人生をどうにか生きていく根性を身につけることができた」と感謝の念をこめて書いています。こうした教育熱心な日本人教師の努力が日本に対する好感情に繋がっていったのでしょう。

また、一つには、戦後大陸からやって来た国民党政府の腐敗や武力弾圧の凄まじさを身をもって知ったこともあるでしょう(7章~9章に詳述)。四九年に起きた二二八事件では、知識層を中心に約三万人もの無辜の台湾人が国民党政府の軍隊によって殺害されています。東京帝大を出て検事となった王氏の兄、育霖氏も犠牲となり、今にいたるもその遺体の所在は不明の由です。台湾の人たちが、厳しくとも公正で、平穏だった日本時代に対する懐旧の念を募らせたであろうことは想像に難くありません。

 日本と台湾が将来にわたって良き隣人同士であるために必要なことは何か。そのことを考えるためにも、多くの日本人に読んでいただきたい一冊です。

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