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2011年10月

2011年10月24日 (月)

日本の居場所がよくわかる 東アジア地図帳

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今谷 明、樋口広芳、石川 剛 監修
アイランズ 編
B5判並製 128ページ オールカラー 定価2415円 2011年10月

日本列島周辺の地理から見てみると、新しい視点や問題解決のヒントが見えてくる!

●地震、エネルギー問題、安全保障など、広域の問題が増えている
 東日本大震災が起きて以降、地震発生のメカニズムへの関心から、日本列島周辺の地質学的な関心がにわかに高まりました。また付随して、原発事故から放射能の飛散がどのように日本周辺に及ぶかというのも大いなる関心事でした。一方、数年来の中国の急激な台頭から、尖閣諸島の国境問題やレアアース資源問題、黄砂などの大陸起因による環境汚染問題など、日本列島周辺にまたがる広域のさまざまな問題がクローズアップされるようになりました。戦後、日本は冷戦終結後の1990年代まで、あたかも第二の鎖国状態に居るかのような、日本一国主義で安穏としていたともいえます。ところがここに来て、自然、経済、文化、あらゆる問題で、東アジアという地理的条件を理解して解決に取り組む必要が出てきたともいえるでしょう。本書はそのための一助となるべく作られた地図帳です。

●地理的、地政学的思考が養われる面白くてためになる地図帳
 そうはいっても、この本は堅苦しい本ではありません。「日本人のアジア探検地図」「日本人の漂流地図」(今谷明氏)、「マナヅルやハチクマなど、渡り鳥の地図」(樋口広芳氏)、「東アジアの凸凹地形地図」(石川剛氏・東京地図研究社)など、さまざまなユニークな地図が収められています。見ているだけで面白いものから、役に立つ啓発的なものまで(地下資源地図、人口地図、原発、黄砂、安全保障など)さまざまです。歴史的、文化的地図もたくさん収められています。全体として、読者に地理的、地政学的思考を養っていただき、今日の諸問題を考えるセンスをつけてもらいたという主旨でもあります。いろいろな読み方、使い方ができる画期的な地図帳なのです。

日米衝突の根源 1858-1908

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渡辺惣樹=著

四六判上製 五七六頁 定価三六七五円 二〇一一年十月二十一日

〇米側資料によって明治期を読み解く
 著者の渡辺惣樹氏はカナダ在住の在野の歴史研究家ですが、これまで看過されてきた英米の資料を使って日本の近現代史を見直すという構想のもと、『日本開国』を書き、『日本 1852』(チャールズ・マックファーレン著、初版は一八五三年刊)を翻訳し、草思社より上梓しました。『日本開国』はペリー艦隊を派遣したアメリカの目的が、中国市場に向けたシーレーンの確保にあったとの見方を示しました。本書はこれに続いて、一八五八年の日米修好通商条約締結から、一九〇八年、セオドア・ルーズベルト大統領が派遣した「白い艦隊〔ホワイト・フリート〕」の日本来航まで、半世紀にわたるアメリカの歴史を取り上げ、明治時代を「アメリカの歴史という燈火」に照らして読み解こうとするものです。内向きの歴史観ではとらえきれない明治期日本の姿を、米側資料を読み込む力量、経済に対する造詣、優れた筆力をもって浮き彫りにした画期的な「明治史」と言えます。

〇日米開戦はアメリカの宿命だった
 アメリカではこの間、南北戦争、米西戦争、移民排斥、ハワイ併合、フィリピン領有と重大な出来事が起きています。これらを丹念にたどることで何が見えてくるのか。それは日本との衝突の不可避性です。この半世紀は、東部エリート(=WASP)をメインストリームとするアメリカが、フロンティアを貪欲に拡大し、イギリスの干渉を排除し、国内産業保護を主軸とするアメリカン・システムによって強力な国家建設に邁進し、やがてそこから人種問題、労働問題が派生し始める時代です。アメリカは中国市場でイギリスの優位に立つべく、新たなフロンティアたる太平洋の覇権を握らなければなりませんでした。その橋頭堡としてフィリピンを領有するのですが、このとき日本が、フィリピンを軍事的に脅かす可能性のある存在として立ちはだかってきたのです。一方の日本は海軍力こそアメリカをしのぐようになっていましたが、対米戦の意思など毛頭なかったことがわかります。のちの日米開戦の根源はこの時代のアメリカの国内事情、もっと言えばその行動原理そのものにあったことを明らかにした本書は、太平洋戦争の起源を日本にのみ求める通説に一石を投じるものであることは間違いないでしょう。

〇「ガラス細工の対日外交」が壊れるとき
 ルーズベルト大統領はこのとき、国内の排日移民の動きを牽制し、ポーツマス講和で仲介の労をとる一方で「白い艦隊」を派遣し日本を威圧します。著者はそれを「ガラス細工の対日外交」と評し、大統領の真意は「アメリカの軍事力が優位になるまでは何としてでも日本との和平を維持する。そして必ずや訪れるであろう日本との衝突に備えて軍事力を強化する」ことにあったと「おわりに」で書いています。アメリカは日本との開戦をとっくの昔に想定しており、実際、一九〇四年には日本による米本土攻撃に備え、太平洋岸にコロンビア要塞を築いています。このガラス細工が壊れていき、日米衝突の悲劇へといたる経緯は著者の次の作品で詳しく描かれることになるのでしょう。

マリリン・モンローとともに
――姉妹として、ライバルとして、友人として

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スーザン・ストラスバーグ著 山田宏一訳
四六判上製 五二八ページ(口絵一六ページ) 定価二九四〇円/2011年10月

最も身近に居た女優が明かす最後の八年間。没後50年ますます輝きを放つスターの素顔

●ニューヨーク時代から自殺するまでのマリリン
 マリリン・モンローは一九六二年に三十八歳で自殺していますから、来年二〇一二年は没後五〇年ということになります。その存在は死後ますます輝きを増したようで、彼女について書かれた本は映画スターの本ではガルボ、チャップリン、ハンフリー・ボガートと並んで一番多いといわれています。この本は、『ナイアガラ』『七年目の浮気』のあと、すでに大スターだったマリリンが一念発起して(演技の勉強のために)ハリウッドからニューヨークに出てきて以降、悲劇的な死をとげるまでの記録です。
 著者のスーザン・ストラスバーグは古い映画ファンなら覚えているでしょうが、一九五〇年代後半に『ピクニック』『女優志願』(主演)など、いくつかの佳作に出演した印象的な美少女女優でした。しかし、それよりもリー・ストラスバーグの娘といったほうが通りがいいかもしれません。リー・ストラスバーグはアクターズ・スタジオ(俳優養成学校)の主宰者の一人で、演技指導に独自の理論をもち、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーンから現代のブラット・ピット、ジュリア・ロバーツまで、アカデミー賞級の有能な俳優を門下からたくさん輩出しました。マリリンは「金髪でグラマーの頭の空っぽな女優」というハリウッドでのイメージを払拭したいがために本格的な演技勉強を志し、アクターズ・スタジオに入ったのです。リーとポーラ夫人(後期のマリリンの映画の演技コーチ)、娘のスーザン、弟のジョニーのストラスバーグ一家にマリリンは家族同様に迎え入れられ、数年を過ごします。この本は娘のスーザンが副題にもあるように「姉妹として、ライバルとして、友人として」過ごした死に至る濃密な親交の年月を率直に綴った回想記です。

●マリリンという素敵な女優がいた五〇年代のアメリカ
 マリリン・モンローは「セックス・シンボル」として、あるいはコミカルな女優として、認識されていますが、実は本来の意味で知的な、とても魅力的で繊細な人であったことが指摘されています。この本はその彼女の素顔を五〇年代後半のニューヨークという、これまた興味津々な背景のなかで、多彩なエピソードにより描き出しています。スーザンの十代での女優デビュー、ブロードウェイでの成功(「アンネの日記」)など、本人の青春回顧とマリリンの思い出が一体となり、最後はマリリンの悲劇的な死で終わる構成は一つの青春小説を読むような感動を呼び起こします。映画本の翻訳では定評のある訳者の優れた訳文とともにこの魅力的な回想記を味わっていただきたい。

2011年10月14日 (金)

プロ野球 球団フロントの戦い

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工藤健策・著

四六判並製/224頁/定価1470円/2011年10月


 ●プロ野球チームを陰で動かしている「仕掛け人」たちの手法を徹底解剖!●

 現在、プロ野球12球団はさまざまなやり方で改革に取り組んでいます。チームの成績を上げ、観客動員を増やし、十分な採算をあげる――というのが、各球団共通の目標なわけですが、これが相当に困難な目標であることはプロ野球ファンならよくご存じでしょう。本書はこの難題に挑む各球団フロントの手法を紹介し、その可能性を検証する本です。チームが勝ち続けても観客動員で苦戦するケース(中日)、チーム力の向上にともなって年俸が高騰して経営を圧迫するケース(千葉ロッテ)、圧倒的な資金力で一流どころをかき集めても結果につながらないケース(かつての巨人や現在の阪神など)と、球団運営に絶対的な「勝利の方程式」は見当たらないわけですが、しかし、明らかに従来とはちがった組織論でチーム力を確実に上げている球団もあります(日本ハムや現在の巨人など)。
 いったいどのような強化方針を採用すればチームは強くなるのか。そして、どういうチーム作りをファンは望んでいるのか。今もごくわずかの勝者と多くの敗者をつくり続けている熾烈な戦いの舞台裏を詳らかにする、プロ野球ファン必読の一冊といえます。

【本書から】
●育成制度を「てこ」に球団の体質改善に成功しつつある巨人の課題とは?
●阪神の球団運営を変えるきっかけとなった村上ファンドの買収騒動
●日本ハムが日本球界ではじめてGM制度を機能させることができた理由
●楽天の球団経営を支えるスマートな球場政策とは?
●現在のロッテに球団を保有しつづけるメリットはあるのか?

戦後日本=インドネシア関係史

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倉沢愛子・著

四六判上製/448頁/定価5145円/2011年10月

 

●「冷戦構造」の枠に収まらないデリケートな関係を複眼的な視点で描く●
 本書は太平洋戦争が終結して以降の日本とインドネシアの関係を、広い意味での「戦後処理」という観点から考察した一冊です。著者は、サントリー学芸賞を受賞した『日本占領下のジャワ農村の変容』に続き、日本の占領がインドネシア社会に与えたインパクトを注意深く検証しながら、複雑なファクターが絡み合う二つの国家の関係を整理・再構成しています。これまでの研究でほとんど使用されてこなかった日本、オランダ、インドネシアの新資料をふんだんに活用し、さらにはオーラルリサーチの手法も採り入れることで、「冷戦構造」「親日・反日」といったシンプルなキーワードではくくることのできない両国のデリケートな関係性がみえてきます。歴史の襞に隠された多彩な事実をていねいに掘り起こしながら、二つの海洋国家の愛憎なかばする結びつきを描いた労作です。

【本書から】
○戦後間もない時期の日本とインドネシアの関係は、両国ともに追求する「国益」が明確でなかったために、混乱と試行錯誤の連続となった。
○1950年代、インドネシアの政治指導者がめざした経済面での「脱植民地化」(オランダとの全面対決)に、日本は欧米の圧力に抗しながら深くコミットしていった。このとき日本は、冷戦構造とは別の枠組で独自の外交を展開した。
○1960年代の中頃(スカルノ時代の末期)までは、戦前・戦中以来の人的ネットワークが両国に強固に存在し、それが賠償交渉などの公的な政策決定にも少なからぬ影響を与えていた。
○両国の経済的な結びつきが強まった今日、太平洋戦争時の負の遺産は払拭されたかにみえるが、日本統治時代の名残は根深くインドネシア社会に息づいている。

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