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2011年10月24日 (月)

マリリン・モンローとともに
――姉妹として、ライバルとして、友人として

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スーザン・ストラスバーグ著 山田宏一訳
四六判上製 五二八ページ(口絵一六ページ) 定価二九四〇円/2011年10月

最も身近に居た女優が明かす最後の八年間。没後50年ますます輝きを放つスターの素顔

●ニューヨーク時代から自殺するまでのマリリン
 マリリン・モンローは一九六二年に三十八歳で自殺していますから、来年二〇一二年は没後五〇年ということになります。その存在は死後ますます輝きを増したようで、彼女について書かれた本は映画スターの本ではガルボ、チャップリン、ハンフリー・ボガートと並んで一番多いといわれています。この本は、『ナイアガラ』『七年目の浮気』のあと、すでに大スターだったマリリンが一念発起して(演技の勉強のために)ハリウッドからニューヨークに出てきて以降、悲劇的な死をとげるまでの記録です。
 著者のスーザン・ストラスバーグは古い映画ファンなら覚えているでしょうが、一九五〇年代後半に『ピクニック』『女優志願』(主演)など、いくつかの佳作に出演した印象的な美少女女優でした。しかし、それよりもリー・ストラスバーグの娘といったほうが通りがいいかもしれません。リー・ストラスバーグはアクターズ・スタジオ(俳優養成学校)の主宰者の一人で、演技指導に独自の理論をもち、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーンから現代のブラット・ピット、ジュリア・ロバーツまで、アカデミー賞級の有能な俳優を門下からたくさん輩出しました。マリリンは「金髪でグラマーの頭の空っぽな女優」というハリウッドでのイメージを払拭したいがために本格的な演技勉強を志し、アクターズ・スタジオに入ったのです。リーとポーラ夫人(後期のマリリンの映画の演技コーチ)、娘のスーザン、弟のジョニーのストラスバーグ一家にマリリンは家族同様に迎え入れられ、数年を過ごします。この本は娘のスーザンが副題にもあるように「姉妹として、ライバルとして、友人として」過ごした死に至る濃密な親交の年月を率直に綴った回想記です。

●マリリンという素敵な女優がいた五〇年代のアメリカ
 マリリン・モンローは「セックス・シンボル」として、あるいはコミカルな女優として、認識されていますが、実は本来の意味で知的な、とても魅力的で繊細な人であったことが指摘されています。この本はその彼女の素顔を五〇年代後半のニューヨークという、これまた興味津々な背景のなかで、多彩なエピソードにより描き出しています。スーザンの十代での女優デビュー、ブロードウェイでの成功(「アンネの日記」)など、本人の青春回顧とマリリンの思い出が一体となり、最後はマリリンの悲劇的な死で終わる構成は一つの青春小説を読むような感動を呼び起こします。映画本の翻訳では定評のある訳者の優れた訳文とともにこの魅力的な回想記を味わっていただきたい。

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