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2012年5月23日 (水)

明仁皇太子 エリザベス女王戴冠式列席記

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波多野勝〔はたの・まさる〕=著

四六判上製 三七六頁 定価二七三〇円 二〇一二年五月

〇新史料をもとに初外遊の全旅程をたどる
 心臓の手術後まもない天皇陛下が、エリザベス女王即位六十周年を祝う式典への出席に強い意欲を示されたことには誰もが驚いたのではないでしょうか。このたびの訪英に対する特別な思いの根本には、一九五三(昭和二十八)年、日本の独立から一年後に行なわれた初めての外遊の思い出があったことは間違いありません。立太子の礼を終えた十九歳の明仁皇太子(今上天皇)はこの年、初の外遊として欧米各国を訪れましたが、その最大の目的は昭和天皇の名代としてエリザベス女王の戴冠式に出席することでした。
 本書は、五十九年前のこの外遊で随員をつとめた吉川重国氏の随行記録、公開なった日本および英国外務省史料、イギリス側接伴員で国際法の権威ハンキー卿のメモワール等の新史料をもとに半年にわたる外遊の全旅程をたどり、これに重ねて日英・日米外交の丁々発止の舞台裏を描き出したものです。皇太子時代の初外遊がこれほど詳細に跡づけられたのは初めてのことであり、まずはこの点で本書刊行の意義はきわめて大きいと思われます。

〇「皇室外交」から戦後史の転換点をとらえる

 著者の波多野勝氏は皇室外交の視点から日本の近現代史を捉え直すべく、多くの未公刊史料を渉猟。これまでに『裕仁皇太子ヨーロッパ外遊記』『昭和天皇とラストエンペラー』を上梓しました(いずれも小社刊)。本書は、前二冊と同様のアプローチによって戦後史の見方に新たな視点を加えたものと言えます。
 敗戦国日本が国際社会に再登場するうえで皇太子外遊の機会を持てたことは日本にとって幸運であったと著者は述べ、時の首相吉田茂にとってはこの外遊が、大戦によって断ち切られた日英関係の修復をはかり、占領期から続く対米追従を脱するための好機でもあったと指摘しています。皇太子外遊の成功を受けた吉田は、翌五四年に自らイギリスに乗り込み、戦時捕虜や経済摩擦問題を解決しようとします。しかし、さしたる成果は上がらず、英議会では労働党議員から野次られる始末。その後に訪れたアメリカで熱烈に歓迎されるという皮肉な結末となりました(第11章)。本書では皇太子訪英を前に「日英の絆」を復活させたいと願う英国の親日・知日派人士が、国内にくすぶる反日感情を鎮めようと奔走する姿が描かれていますが、吉田外遊の顛末を見れば、吉田やこれら親日・知日家による戦前型の伝統外交がもはや通用しなくなったことがわかります。それはまた日本外交の対米基軸が決定的になったことを示していると見ることもできるのです。

〇慰問・慰霊の旅につながる得がたい体験

 皇太子一行は訪英の途次、カナダを訪問しました。バンクーバーからトロントへ向かう列車の旅では駅ごとに日系人が皇太子の到着を待っていました。カナダの日系人は大戦中、強制収容所送りを余儀なくされました。ときに零下になる寒さのなか、皇太子は各駅でプラットホームに降り、彼らに挨拶をしました。皇太子はこのとき、個人の意思では如何ともしがたい事態によって辛苦を味わうことになった人々を慰め激励することを自らの使命にすると決意されたのではないでしょうか。その後の積極的な被災地慰問や先の大戦の激戦地への慰霊の旅の原点ともいうべきこのカナダでの体験は第2章に活写されています。

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