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2012年7月24日 (火)

山本美保さん失踪事件の謎を追う
――拉致事件の闇

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荒木和博=著

四六判上製 二三二頁 定価一八九〇円

 〇甲府で起きた失踪事件の不可解な顛末
 二十八年前(一九八四年六月四日)に山梨県甲府市から忽然と姿を消し、十年前(二〇〇二年)には北朝鮮による拉致の可能性が浮上、しかしその二年後(〇四年)、DNA鑑定を根拠として山梨県警から「失踪直後に死亡」と発表された山本美保さん。本書は、この県警発表が矛盾だらけとわかって以来、美保さん失踪事件の謎を追及してきた荒木氏が、DNA鑑定の分厚い壁の向こうに、県警レベルを超えた強固な意思があることを察知するまでの「闘いの記録」です。衝撃的な内容であると同時に本書は、なぜ拉致問題の解決がこれほどまでに長引いているのかという疑問に対する一つの答えを示すものでもあります。

 〇DNA鑑定以外の資料は別人を物語る
「図書館に行ってくる」と言って家を出たまま失踪した美保さんは当時二十歳。四日後に新潟県柏崎市の海岸でセカンドバッグが発見されたほかに手がかりは一切なかったのですが、小泉総理訪朝の年に、美保さんの双子の妹・森本美砂さんは「姉は北朝鮮にいるのではないか」と考え、救う会に問い合わせをします。その後、荒木氏が代表をつとめる特定失踪者問題調査会は、美保さん失踪は「拉致の可能性が高い」と判断。地元甲府では、美保さん・美砂さん姉妹の同級生らが中心となって支援活動が盛り上がり、二十万人の署名が集まります。近々美保さんの消息が明らかになると思われていたところに、降ってわいたように行われた県警の〝死亡〟発表。一年前に採取した美砂さんの血液と、美保さん失踪から三週間後の一九八四年六月二十一日に山形県遊佐町の海岸で発見された身元不明遺体の骨髄のDNAが一致したというのです。ところが後に家族が見た遺留品の写真や司法解剖の鑑定書は、山形の遺体は明らかに美保さんとは別人であることを物語っていました。着衣のサイズや身体的特徴が異なるだけでなく、失踪からさほど時間が経っていないにもかかわらず遺体の一部はすでに屍蝋化し、歯が十三本もなくなっていたのです。

 〇〝拉致問題幕引き〟のシナリオがあった?
 家族や荒木氏はこれまで、山梨県警に対して発表の矛盾点を何度も質してきましたが、今にいたるも合理的な回答はなされていません(質疑応答は5章、6章に詳述)。DNAの鑑定書を公開することも拒否しています。こうしたやりとりから荒木氏は、美保さんの〝死亡〟発表は県警の本意ではなく、警察庁、さらには当時の政権中枢の指示によるものだったのではないか、政府が拉致と認定していない特定失踪者のシンボル的存在となった美保さんの〝死亡〟を宣告することで、拉致問題全体の〝幕引き〟を図ろうとしたのではないかと見るようになります。その先にあるのは日朝国交正常化でしょうか。県警発表を境に、全国で最も活発だった支援運動は急速にしぼみ、メディアの関心も薄れていったのですが、このことは荒木氏の見立てを裏づけるものと言えます。
 それにしても県警・警察庁をはじめ関係者は、これだけ疑惑に満ちた事件にどう決着をつけるつもりなのでしょうか。またぞろメディアの前でトップが頭を下げ、陳謝して終わるのか。確かなことは唯一つ、一刻も早く真相を明らかにしないかぎり、当局が受けるダメージは今後ますます大きくなっていくばかり、ということです。

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