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2012年12月

2012年12月13日 (木)

鹿児島学

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岩中祥史(いわなか・よしふみ)著

四六判、並製、288ページ、定価1680円、2012年12月

「県民性」研究の第一人者による書き下ろし最新作。
日本文化の現状に迫る無類に面白いエッセイ・読み物。


●県民性ブームの火付け役である著者

 著者はこれまで『名古屋学』『博多学』『札幌学』『広島学』(いずれも新潮文庫)を著して好評を博し、また『新・不思議の国の信州人』(ワニ文庫)、『新・出身県でわかる人の性格』(草思社文庫)、『日本全国 都市の通信簿』『名古屋人と日本人』(いずれも草思社)などで、その他の県人気質についても詳しく解き明かし、多くの読者を獲得してきました。今現在、テレビなどで「県民性」を語ることは大流行りですが、今日のブームの火付け役の一人はまちがいなくこの著者の岩中祥史氏です。日本文化が標準化され、ローカルなものが消えつつある現在ですが、一方で日本固有なものへの関心は逆に深まりつつあるように感じます。「県民性」への関心は過去から受け継いでまだ日本各地に眠っている貴重な遺産や宝物の再発見という意味を持っているのでしょう。著者はこのローカルなものへの案内役としていつも見事な役割を演じてくれています。

●近代日本を牽引しながら古風な魅力を持つ鹿児島
 著者がテーマとして次に選んだのは鹿児島です。鹿児島人は島津氏の鎌倉時代以来の支配から独自の発展をとげ、九州南端という立地からもあって江戸期末まで固有の文化を育んできました。ご存知の通り幕末から明治、大正の近代日本成立の過程で大きな役割を果たします。著者は何度も鹿児島を訪れ、資料を読み、現地の人と会話し、この一書を書き上げました。その手法はまさに「学」と呼ぶにふさわしいアプローチです。あたかも見知らぬ外国を訪れたかのようなレポートで日本の一地方である鹿児島をトータルに描くことに成功しています。鹿児島は沖縄につながる薩南諸島や奄美群島を包含し、明や琉球との密貿易で栄え、また勇敢な武の精神を重んずることで知られています。明治期に幾多の人材を輩出しましたが、西南戦争による敗北という傷も負っています。現在、食糧自給率では宮崎県に次いで第二位であり、農業県という印象で、「黒豚」「焼酎」がうまく、「温泉」が豊富にでる県です。しかし、そこには汲めども尽きぬ魅力があり、まだ手垢に汚れていない美質を発見することができます。日本の地方文化の現状を知るうえで格好の手引きとなる本です。

武士に「もの言う」百姓たち
――裁判でよむ江戸時代

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渡辺尚志(わたなべ・たかし)著

46判・上製/232頁/定価1890円(税込)/2012年12月

信濃国の松代(まつしろ)藩・真田家に残された希少な裁判史料から、
「百姓と武士の意外な関係」を明らかにする

 江戸時代の百姓たちは、武士に支配されるだけの「もの言わぬ民」ではなく、村の運営に不満があったり、自らの利益を守るためには、どんどん領主に訴え出ました。本書は、そうした百姓による訴訟と、それを裁く武士の姿を通じて、「江戸時代の百姓と武士の関係」を解き明かすものです。
 本書の第一部で、「江戸時代の訴訟と裁判」の概要が述べられます。当時の裁判は一審性で、百姓たちが再審を求めることなど許されなかったこと、また、裁判は非公開であり、傍聴は認められていなかったことなど、現代の裁判とはまるで異なる実態がわかりやすく解説されます。この第一部を読むだけでも、江戸時代の裁判の全体像がつかめます。
 本書の大半を占める第二部では、江戸時代後期の文化・文政期(1804~1829)に、信濃国松代藩の南長池村(現・長野県長野市)で起こった、百姓たちによるひとつの訴訟をとりあげ、その一部始終を追跡します。第二部の記述は、松代藩主・真田家に伝わった古文書に基づいています。 
 この事件は、従来からの村の指導者層と、それを批判する一般百姓たちの対立から始まります。村を二分する大騒動となり、松代藩の法廷で審理されることになりましたが、原告・被告の百姓たちは、裁く側の奉行たちも辟易するほどの「もの言う民」でした。牢に入れられようとも自説を頑として曲げなかったり、審理の流れに応じて前言を平気で翻したり。そこからは、武士にまったく臆しない、あるいは、狡猾に立ち回る、といったリアルな百姓像が浮かび上がります。
 面白いのは、奉行たちが、判決言い渡しに先立って、事前に打合せをしている場面。万一、百姓が判決に異を唱えてきた場合の事態の収拾役を、互いに押しつけあっているのです。判決を否定するような主張をされては、領主の威光に傷がつき、奉行自身の責任問題に発展しかねなかったのです。武士が判決文を読み上げれば、百姓はそれに無条件にひれ伏す、というわけには必ずしもいかなかったのです。
 歴史を愛好する方には是非ともお勧めしたい一冊です。

2012年12月 6日 (木)

可能性の大国 インドネシア

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矢野英基・著
四六判上製/256頁/定価1785円/2012年12月

◇計り知れない潜在能力を秘めた親日国の現状を第一線のジャーナリストがレポート◇
 今年9月に中国各地で起こった反日デモによって、中国以外の新興国への関心が急速に高まっています。そんななかで圧倒的な可能性を感じさせる国がインドネシアです。著者は朝日新聞のジャカルタ特派員として2007年~2010年のあいだインドネシアに駐在し、この国のダイナミズムを肌で感じました。本書では、ユドヨノ政権下で進む汚職撲滅の取り組みや「開発独裁」時代の負の遺産の清算など、日本では報道されることの少ないニュースも盛り込みながら、躍動感あふれるインドネシアの「いま」を描いています。インドネシアの魅力は人口の多さにとどまりません。順調な経済成長によって増え続けている中間層と、彼らによって生み出される旺盛な消費。豊富な天然資源。そして何より、親日的で穏やかな国民性については、もっと多くの日本人に知ってほしいと著者は書いています。日本語学習者の数も増加の一途をたどり、インドネシアはいまや韓国、中国に次いで日本語学習者が多い国でもあります。インドネシアが秘める巨大な可能性は、日本の将来にも大きな影響を及ぼすはずです。これからの日本の「可能性」を考えるためにも必読の一冊といえます。

【本書から】
●GDPの6割を占める個人消費 
●脆弱なインフラと未熟な基幹産業
●中国、インドとの比較 
●「努力すれば報いられる社会になった」
●ユドヨノ後を担う人材 
●アブラヤシ開発ブームの光と影
●昇進にカネがかかる公務員 
●汚職撲滅委員会(KPK)の躍進  
●相次ぐ宗教摩擦 
●「98年世代」の挑戦

イスラム哲学とは何か
―― 宗教と哲学の攻防

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オリヴァー・リーマン著 佐藤陸雄・訳

46判上製/456頁/定価3990円/2012年12月

◇イスラム教徒の行動原理を読みとくために必読の一冊◇
 本書は、イスラム教徒の価値観のもととなっているイスラム哲学について論点ごとにまとめた本です。いまやイスラム圏の人口は世界の人口の2割強を占めているにもかかわらず、その行動原理については欧米でも日本でも「排他的な一神教」というステレオタイプな見方が一般的で、彼らの精神性への理解は十分とはいえない状況です。イスラム哲学に通暁する著者は、「厳格な一神教の教義が、理性を圧倒して近代化できなかった」という従来のイスラム理解の枠組を脇に置いて、イスラム哲学の今日的な意味を考察しています。イスラム哲学とは、知を愛する人々のあいだで展開された「論争」である――という定義のもと、著者は今日のイスラム教徒をとりまく問題とも関連づけながら、イスラム哲学の全体像をみごとに提示していきます。古代ギリシア哲学を受容し、中世においては世界最高水準の文明であったイスラム世界の知識人たちが頭を悩ませたのは「いかに自分たちのアイデンティティを保持するか」という問題でした。そしてこの問いは現在のイスラム世界の人々が直面している問題であることが、本書の最終章、および日本語版のために著者が書き下ろした追論(「アラブの春」と日本の大震災)から浮き彫りになってきます。イスラム理解のために必読の一冊といえましょう。

  [本書より]
●イブン・ルシュドの時間論 
●神は何をすることができるのか
●「科学」としての神秘主義 
●実存について~イブン・ルシュド対イブン・シーナー
●イスラムにおける歴史の解釈 
●「ジハード」の現代における政治的な重要性
●アル・ガザーリーはイスラム哲学を葬ったか 
●ユダヤ人とムスリムの近代への反応

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