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2013年8月22日 (木)

「日本の朝鮮統治」を検証する 1910―1945

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1997













ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー=著 塩谷 紘=訳

四六判上製 三一二頁 定価二七三〇円

○統治時代を可能なかぎり客観的に検証
 米国内に〝慰安婦〟像を建てる。八月十五日には韓国議員が抗議のために靖国神社にやって来る――昨二〇一二年の李明博元大統領の竹島上陸いらい、〝歴史問題〟をめぐってつづく韓国の日本追及の動きには唖然とするばかりです。韓国側がつねに日本に謝罪を求めるという構図がつくられてしまった観のある〝歴史問題〟ですが、これらについては果たしてどこまで史実の検証がなされているのでしょうか。たとえば〝慰安婦〟は、日本では〝いわゆる従軍慰安婦〟と表現されていますが、当時、日本軍において「従軍」を冠することができた職業は「従軍記者」「従軍看護婦」「従軍僧侶」のみであり、もとより「従軍慰安婦」といった言葉はなく、一九七〇年代になって現われ、その後の新聞報道によって広まった造語です。なるほどキャッチーな言葉なのでしょうが、これがひとり歩きするうちにその実体は正確さを失っていきます。少なくとも歴史研究においては用語を軽々に扱ってはならず、現在の価値観をあてはめて過去の出来事を見てはならないはずです。
 一九一〇年の日韓併合から始まる朝鮮統治時代の歴史もまた〝世界で最も残虐な植民地統治〟といった、過激かつナショナリスティックな論調で語られてきたわけですが、それは本当に日本の朝鮮統治の実態に即した評価なのでしょうか。本書は、二人の米国人研究者が、可能なかぎり客観的・実証的にこの時代を検証するとともに、「植民地近代化論」を取り入れた、ほんらいの意味での修正主義史観による統治史研究の成果の数々を紹介したものであり、そこから浮かびあがってくるのは、〝残虐〟とはほど遠い統治の実際です。

○「朝鮮の近代化のために努力を惜しまなかった」
 17章では、〝残虐さ〟の証左として取り上げられる「鞭打ち刑」に関して検証が加えられています(二五四―七三頁)。一九一九年の「三・一事件」での拘束者に対する鞭打ちによって「少なからぬケースで死者が出た」と記されたThe Case of Korea(1921)という本が、朝鮮総督府当局の非道さを示すソースとしてその後複数の研究者によって使われているのですが、「少なからぬケースで死者が出た」と記すには事例が乏しく、同書は一次史料と呼べるものではないことがわかります。ちなみにこの本の著者ヘンリー・チュン(鄭翰景)氏は一九一〇年に米国に亡命した独立運動家です。これにつづけて米ヘンドリックス大学のスプランガー助教授による「鞭打ち刑」の考察が紹介されていますが、読み比べてみれば、どちらがより正確な「歴史」であるかは明らかです。このほか17章では、総督府による「土地調査」、慰安婦、朝鮮の産業化等をテーマとした修正主義史観による最新の研究成果が紹介され、15章では欧米の植民地との比較考証がなされ、Ⅱ部、Ⅲ部、Ⅴ部では、明治政府の要路および総督府の統治政策の原則が論じられています。これら実証研究の成果をふまえた上でアキタ教授は、日本政府と総督府は「朝鮮の近代化のためにあらゆる努力を惜しまなかった」と書き、その統治は「九分どおり公平(almost fair)」であったと結論づけていますが(18章)、説得力があります。米国では今や修正主義史観によるアプローチが統治史研究のメインストリームになりつつあるようです。朝鮮統治の実際を知り、研究の最前線を知るためにも、広く読まれるべき一冊と言えるでしょう。

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